辛抱が命の職業
丸高農園は戦前の昭和12(1937)年に温州蜜柑や伊予柑の苗木を植えることから始まりました。しかし第二次世界大戦に突入し、月日が過ぎるごとに畑には馬鈴薯や麦を植える面積が増え、残った苗木にも十分な肥料を与えることもできずただ見守る辛抱の年が続きました。
終戦後に初めて150貫匁(0.56t)程の蜜柑を収穫することができたものの、味も色も悪いもので柑橘栽培の難しさに直面しました。
柑橘栽培は苗木を植えて収穫を待つだけではなく、施肥による土壌づくり、剪定による木づくり、病虫害対策や摘果により初めて良果を収穫することができる時間を要する農作物です。
諦めず辛抱、研究を重ねること10数年、収穫量、質ともに向上し市場の最上級品と同等な蜜柑を生産できるようになりました。
